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会社の参謀・軍師として優秀な人材
大きな事業を成し遂げる会社は、参謀や軍師の助けを上手に借りています。個人の思いつく考えや知識には限界があるため、偉大な経営者は、優秀な人材を参謀にすることの大切さをよく理解し、援助を乞うことに長けています。優秀な人材を参謀とすることについては、ドイツの軍人である「ハンス・フォン・ゼークト」の「ゼークトの組織論」の中でも語られており、参謀の条件を、次のように述べています。
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「ゼークトの組織論」は、正確には、ゼークトが語ったものではなく、「ハンマーシュタイン=エクヴォルト」の組織論が改変されたものであると言われていますが、この格言からも、戦いを有利に進めるために、優秀で勤勉な人を参謀につけることが有用であることが理解できます。
一方、逆にトップとしの器については、ソフトバンクグループの社長である孫正義さんは、「将棋に例えるなら、仕事でナンバーワンになって勝ち続けるためには、飛車や角のように、勇ましく派手である必要はない。逆に、王様のようにトータルバランスの良さで優れている方よい」と語っています。孫正義さんによれば、「日本の大企業経営者の特徴として、特定の専門分野にやたら詳しいが、残りは半人前なサラリーマン社長が多いため、一時的に何かでシェアを伸ばすことはできても、最後に本当の王様になることはできない」とも述べています。
一芸に秀でている社長が会社に不幸をもたらした事例は、シャープの崩壊にも現れています。2007年にシャープの社長になったのは、当時49歳という若さの片山幹雄さんでした。片山幹雄さんは、シャープを成長させた液晶事業のスペシャリストの片山幹雄さんでもあったため、大型液晶パネルを大量生産できる堺工場を、4,000億円という巨額の費用を投じて建設しました。しかし、時代は大型液晶パネルが下火となりつつあった時期で、中型・小型液晶テレビや、携帯の液晶パネルへと需要が映っていたため、多額の在庫と負債を抱え、シャープの崩壊を招きました。
会社のトップは、「角」や「飛車」のように、必ずしも特定の分野で優れている必要はありません。ただし、優秀な人材の力を借り、ブレーンとして活かせる人でなければいけません。歴史上の統治者や為政者も優秀な軍師や参謀を抱えています。例えば、皆さん大好きな中国の三国志の時代であれば、劉備に仕えた諸葛亮孔明や、曹操のために尽力した司馬懿仲達などが有名です。
また、日本の戦国時代を見ても、「三英傑」の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の中で、軍師なしで自らが参謀として躍進したのは織田信長のみで、豊臣秀吉や徳川家康には、次のような優秀な軍師が存在していました。
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他にも、戦国の大大名の多くには、優秀な軍師や参謀役がおり、武田信玄には山本勘助、上杉謙信には直江兼続、伊達政宗には片倉小十郎がおり、石田三成にも「三成に、過ぎたるものが2つあり、島の左近と佐和山の城」と謳われるほど優秀な、島左近がいました。
そのため、あなたが大きな仕事を成していきたいならば、優秀な人を自分の会社にスカウトすることも必要です。といっても、普通の人だと、人を雇うというわけにはいきませんが、人の知恵を借りるために、その分野に詳しい人や知識人に話を聞きに行くことは、可能なはずです。
その分野に詳しい人に話を聞きに行くのは、なかなか難しいように感じるかもしれまsねん。しかし、次のような人を候補として探すようにしてみましょう。
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そして、アポイントメントを取り付けたい人が見つかれば、あとは、電話やメールで連絡を取り、「会って話を聞きたい」とお願いしてみます。知らない人にいきなり連絡をとっても、会ってくれるか心配な人もいるかもしれませんが、意外と会えるものです。本の著者の中には、連絡用に、メールアドレスや自分の事務所のホームページ、twitterを掲載しています。そのような方の場合、基本的に、読者やファンからの問い合わせであればウェルカムで、受け入れてくれます。大学の研究者であっても、マナーを守ってお願いするえば、自分の専門分野に興味を持ってくれる人はうれしいため、邪険に扱われることはあまりありません。
知りたいことがあり、早く事を成し遂げたいならば、その道の達人に、どんどん聞きに行くべきです。
会社に参謀・軍師のいる大企業
ソフトバンクグループの孫正義さんは、福岡県福岡市博多の雑餉隈(ざっしょのくま)の雑居ビルで、1981年に24歳の若さで起業しました。スタートした当時、社員2人の前で「創業5年で100億円、10年後には500億円にする」と熱く語り、その後、紆余曲折を経ながらも、「ベンチャー三銃士」と例えられるほど会社は急成長を遂げ、現在では「テック財閥」と呼ばれるほどのグループ企業へと成長しました。
一方、孫正義さんは、躍進の裏で、実は、多くの優秀な人物の力を借りています。よく知らている、ソフトバンクの参謀・軍師として活躍したブレインには、次のような方がいます。
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大森康彦さんは、日本警備保障(現在のセコム)の元副社長で、1983年-1986年まで、ソフトバンク社長を務めました。孫正義さんが病気療養中に社長を任せる人物として、大学時代に自動翻訳機を売り込んだシャープの技術者で、後にシャープの副社長となる佐々木正さんより、大森康彦さんの紹介を受けました。
北尾吉孝さんは、野村證券の役員で、1995年-2005年まで、ソフトバンクに勤め、特に、ソフトバンク・インベストメント(現在のSBIホールディング株式会社)の社長となる1999年まで、活躍しました。孫正義さんの指揮調達に活躍し、ナスダック・ジャパン(現在のジャスダック市場)の創設や、日本債券信用銀行(現在のあおぞら銀行)の買収で、参謀役を果たしました。北尾吉孝さんは、現在は、ソフトバンク・イベンストメントの後進となる国内ネット証券最大手「SBIホールディングス」の社長となっています。
笠井和彦さんは、富士銀行の元副頭取で、2013年に死去するまでソフトバンクで務め、2000年-2013年まで、活躍しました。笠井和彦さんは、北尾吉孝さんの後任として参謀に就任し、ナスダック・ジャパンとあおぞら銀行の事業から手を引き、その資金をADSL事業「Yahoo!BB」の赤字の補填へと回しました。さらに、ネットと通信事業に絞った投資を行い、2004年の3,400億円での日本テレコム買収、2006年の1兆7,500億円でのボーダフォン買収、2013年の1兆8,000億円でのアメリカのスプリント・ネクステル買収に関わった人物として知られています。孫正義さんの笠井和彦さんへの信頼は厚く、笠井和彦さんが亡くなったとき、孫正義さんは、人前であるにも関わらず泣いたと言われています。
ニケシュ・アローラさんは、アメリカのGoogleの元幹部で、Google時の最終年収は約5,000万ドル(約52億円)を得ていたほど、期待されていましたが、孫正義さんに見いだされ、Googleを辞めてソフトバンクへと移ってきました。2014年-2016年の22ヶ月、ソフトバンクの副社長を務め、孫正義さんが事実上の後継者であると公言していたこともり、「ニケシュが事故にでも遭わない限りは、将来彼がもっとも重要な後継者候補」と述べていたほどの人物です。アローラさんは、孫正義さんの苦手な株式売却での利益確定を主に行い、中国EC大手のアリババ株、日本のスマホゲーム大手で1998年-2002年までは孫正義さんの弟が社長を務めていた「ガンホー」株、同じくスマホゲーム世界大手の「スーパーセル」の売却を手掛けました。また、インドの投資案件や、ハイテク産業への投資案件も複数こなしています。アローラさんがソフトバンクの副社長として得た2014年の年俸は、契約金も含まれるものの、世界3位となるほどの異例の高額報酬で、1位がGoProのCEOで約340億円、2位がアメリカのメディア関連企業「リバティ・グローバル」のCEOで約170億円に次いで、約165億円の報酬を得ています。また2016年3月期の役員報酬は80億円と言われており、Apple社のティム・クックCEOと同水準の報酬を得ています。ちなみに、ソフトバンク社長である孫正義さんは、役員報酬は1億3,900万円です。孫正義さんの場合は、自社株の年間配当が多いため、ソフトバンクの株の年間配当だけで101億7300万円を得ていますが、それでも、役員報酬だけで考えれば、アローラさんがいかに期待されていたかが分かります。
もちろん、孫正義さんの人事が全てが成功したわけではなく、失敗もあります。例えば、大森康彦さんは、孫正義さんの大学サークル的な経営手法を変革して、経営方針のしっかりした組織に企業を作り変えようとしていました。そのため、創業直後からソフトバンクに加わった従業員が、ソフトバンクの経営に嫌気がさすという「ソフトバンク事件」も起こっています。ソフトバンク事件の結果、1986年には、20人以上の有能な役職員が一斉に辞めて、独立して会社を設立されてしまいました。
また、ニケシュ・アローラさんは、ソフトバンクと利益相反の関係にあるアメリカの投資会社「シルバーレイク」のアドバイザーを務めていたため、解任しなければいけない事態になったとも言われています。最終的に、アローラさんにソフトバンクから支払われた金額は、2015年3月期で契約金も含めて165億円、2016年3月期で80億円、さら役員退職金で68億円、アローラさんも持っておりソフトバンクも投資したインドの2社の株の買取で107億円で、たった1年10ヶ月の間で、アローラさんに合計420億円も払うことになってしまいました。
以上のように、現在の会社経営の場合は、戦国時代の軍師や参謀のように、社長と一蓮托生というわけにはなかなかいきませんが、それでも、多くの優秀な人材が、孫正義さんを支えてきたことが分かります。
会社の外にも、参謀・軍師のいる大企業
孫正義さんのソフトバンクグループには、もう一つ、特徴があります。それは、ソフトバンクの社外取締役にも優秀な経営者を据えている点です。そして、社外取締役でさえも参謀や軍師として活用し、ブレインとしています。
社外取締役とは、事業が健全に行われているかどうかをチェックするための、社外の監査役のような存在です。アメリカでは社外取締役の選任が義務化されており、社外取締役による経営のチェックが不十分な場合は、社外取締役が経営の責任を取らされるほど重要な存在です。一方、日本では、2002年の商法改正で導入され、2014年の改正会社法で大企業には社外取締役がほぼ義務化されましたが、まだまだ一般的に浸透しているとは言い難い状況です。
一方、孫正義さんは、アメリカのネットワーク機器大手の「シスコシステムズ」で社外取締役をした経験もあり、自身の経営するソフトバンクグループにも、社外取締役を早くから導入し、活用してきました。日本の場合、社外取締役を取り入れる場合、大学の先生や経済の専門家にお願いするのが普通です。しかし、アメリカナイズされ、グローバルな視野を持っている孫正義さんは、参謀・軍師やブレインとして、そうそうたる経営者を社外取締役に引き入れ、次のような有名な方を、社外取締役にしてきています。
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このように、自身のライバルと目されるかもしれない経営者でさえ、自らの経営に取り込んでしまうところにも、孫正義さんのすごさがあります。
ちなみ余談ですが、日本の長者番付は、1位がユニクロの社長でソフトバンクの社外取締役でもある柳井正さん、2位がソフトバンクグループの社長である孫正義さんですが、柳井正さんの孫正義さんへの思い入れは強く、度々、孫正義さんについて熱く語っています。
人の力を借りる手法というのは、山登りのために、その山に詳しいガイドを雇うようなものです。そのため、人の力を借りる手法を「マウンテンガイド理論」と名付けている方もいます。ガイドがいれば、道案内もしてくれますし、危ない場所も教えてくれますし、疲れたら荷物を持ってくれたりもします。そのため、ガイドがいれば、仕事や事業も、最速で達成できるわけです。
一方、人の力を借りずに、全て自分でやろうとしたら、うろうろしたり、途中で道に迷ったりしてしまうため、いつ頂上にたどり着けるか分かりません。それどころか、道から踏み外して転落したりして、目標にたどり着くのも不可能になってしまいます。目標を達成するために、ガイドとしての参謀や軍師の力を借りる。それが、孫正義さんもやっていることなわけです。孫正義さんは、最近では、2019年2月に、ソフトバンクとトヨタで合弁会社を設立して話題になりました。他者の力を借りることへの躊躇のなさや、分別のなさといったものが、ソフトバンクの急成長や勢いの秘密であると言えるかもしれません。