井上大輔:20億円の債務のあった井上株式会社
井上大輔さんが、代表取締役社長を務める「井上株式会社」とは、次のような会社です。
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井上株式会社は、過去に、バリ島でのホテル事業の展開など、積極的な経営を行ってきました。しかし、バブル崩壊により債務超過となり、倒産の危機に陥りました。そんな折、経営のバトンタッチを受けたのが、代表取締役社長となった井上大輔さんでした。
井上大輔さんが井上株式会社を引き受けたときは、20億円もの債務があり、通常の経営者であれば、事業を整理するしかない状況でした。しかし、井上大輔さんは、債務を放棄せずに、再建にあたりました。当時、井上大輔さんは20代でしたが、「自分が育ったのは、この会社があったからだ。経営は父親がしていたものなので自分は関係ないとしてしまえば、必ず後悔する」と考え、事業を引き継ぎます。
しかし、井上大輔さんは、これまで経営などしたこともなく、やったことのある仕事といえば、せいぜい、バリ島のホテルでセールスマネジャーをした経験くらいしかなかったため、再建のハードルは高いものでした。
井上大輔:モラルも破綻していた井上株式会社
井上大輔さんが京都の福知山の本社に戻り、個人保証の印鑑を押した後、引き継いだ会社が、次のような不良債権で、債務超過だということを知ります。
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当時、結婚を予定していた井上大輔さんは、結婚相手の父親に借金などの事情を話さなければならないと考え、会いに生きました。結婚相手の父親は、大手都市銀行支店長の経験もある人物だったたため、井上大輔さんは、てっきり反対されるだろうと思っていました。しかし、「結婚については娘が決めることなので口は出さない」と言われ、父親の事業の引き継ぎについても、次のように言われました。
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そして、中村大輔さんは、結婚相手の父親の言葉を聞き、事業を継ぐ意思が固まりました。
しかし、会社の問題は、財務以外にも、次のような多くの問題がありました。
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例えば、会社の敷地内では、普通にガムやタバコをポイ捨てされるような状況で、小口現金の紛失もありました。また、労働基準法違反や、高い離職率も問題でした。そのため、労使間でも社員どうしでも、相互不信が強く、会社中では悪口ばかりでした。つまり、財務だけでなく、会社運営においても、井上株式会社は破綻していたのでした。
さらに、極めつけは、社員が贈収賄で逮捕される事件も発生しました。ある朝、社員2人より「警察に呼ばれているので行ってくる」と言われ、夕方に警察より「夜9時に会社に伺うので、すぐに書類を提出できるようにしておいてください」と連絡を受けました。最初は、皆、半信半疑で笑っていましたが、約束の時間になると、10人ほどの警察官が押しかけてきてガサ入れが始まりました。
警察の調査により、社員が工事業者に下請け工事代を水増しさせ、キックバックさせた支払いの一部で、官庁の役人と京都の祇園に飲みに行っていたことなどが発覚しました。その結果、井上株式会社は、官公庁との取引がすべて中止となり、会社は、さらに約6,700万円の赤字を被ってしまうのでした。
井上大輔:一筋の光明
井上大輔さんの唯一の救いは、創業者の祖父により築かれた無形資産である、「地域での信用」があったことでした。
債務超過の状態でも、銀行や、仕入先のパナソニックとの関係は良好で、地域のお客様にも継続して買ってもらえていました。また、贈収賄事件の後に取引を断られたのも1社のみでした。そして、9割9分のお客さんからは励まされ、「ちゃんとせなあかんで。いままで、井上があったから、我々がやってこられた。頼むで」と言ってもらえました。
さらに、井上大輔さんと共に経営に当たっていた代表取締役専務は、18歳頃からこの業界でやってきた実力者で、先代の番頭でもありました。そのため、井上大輔さんが経営を引き継いだ後も、実質は専務に経営を仕切ってもらっており、井上大輔さんには、時間的な余裕があったというメリットもありました。そして、その余裕のある時間を使って、経営の勉強をして、じっくり考える機会を持ちながら、後の経営改革の下地を作っていきました。
井上大輔:今の瞬間を大事にする経営
井上大輔さんが社長を継いだ当初は、経営に責任を感じつつも、どうすればよいかわからない状況で、さらに、官公庁との取引停止による6,700万円の赤字が判明したときは、危機的な精神状態でもありました。そのため、妻が実家に帰省して自宅で一人になったときは、倒産するのではないかと急に怖くなって、手足が震えることもありました。しかし、数分後には、やってやろうと思い直しながら、経営の再建策を考えます。
そして、次のように専務に申し出ました。
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そして、井上大輔さん自身が、経営の舵も取ることになります。そして、次のような「フィール・ザ・モーメント」の心情で経営に取り組むようになりました。
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そして、経営者として恥ずかしくないようにだけ考えて、1日1日を過ごすようになりました。その結果、再建成功を果たし、取引銀行からは「福知山の奇跡」と言われるほどの、復活劇とまで呼ばれました。井上大輔さんは、「フィール・ザ・モーメント」の境地に至った結果、5年後、10年後のことを過剰に心配することもなくなり、日々を精一杯がんばり楽しんで過ごしつつ仕事に取り組めるようになり、事業再建の大きな心理的支えを得たのでした。