ハワード・シュルツとは

ハワード・シュルツとは

ハワード・シュルツとは、当時4店舗しかなかったスターバックスを買収し、世界的なチェーンに仕立て上げた、スターバックスの元社長です。1953年生まれなので、2019年現在で66歳になります。

ハワード・シュルツとは、次のような人物です。

  1. 素晴らしい体験を売る
  2. 信頼を取り戻すためには手段を選ばない
  3. 何よりも必要なのは情熱である

それぞれについて、説明していきます。

ハワード・シュルツとは:1.素晴らしい体験を売る

ハワード・シュルツとは、「1.素晴らし体験を売る」という特徴があります。ハワード・シュルツは、アメフトの特待生として入った大学を卒業した後、いくつかの職を渡り歩き、最終的に、雑貨会社の副社長となったとき、スターバックス社のことを知りました。

スターバックスとは、1971年にアメリカの片田舎であるシアトルで、コーヒー焙煎の会社として創業され、大学時代からの友人であった英語教師・歴史教師・ライターの3人が集まって作られました。会社名の由来は、小説『白鯨』に出てくる「スターバック一等航海士」と、シアトル近くの採掘場の「スターボ」という名前から取られています。また、ロゴには、船乗りとの縁が深いギリシャ神話の「セイレーン」が描かれ、下半身が鳥になっており、その2本の尾が周囲に描かれています。つい最近まで、ロゴのまわりには「STARBUCKS COFFEE」の文字も描かれていましたが、2011年より文字は除かれ、イラストのみとなりました。

シュルツは、コーヒーメーカーを大量に仕入れたスターバックスに興味をもち、スターバックスの店舗を訪れます。そのとき、お客さんへの豆の選択やロースト方法などのきめ細かいアドバイスの様子から、オーナーのこだわりと真摯な姿勢に感銘を受けました。そして、シュルツ自らスターバックスで働くことを懇願し、1982年、29歳で、当時4店舗しかなかったスターバックス社に入社しました。そして、アメリカのシアトルにある1号店でマーケティング責任者として採用され、コーヒーへの道を歩みはじめます。

ハワード・シュルツが入社した1982年当時のスターバックスは、コーヒー豆を販売するのみの店舗で、現在のように飲み物は提供していませんでした。しかし、ハワード・シュルツは、1983年にコーヒーの買付でイタリアを訪れ、コーヒーをいれる専門職であるバリスタのエスプレッソバーを何軒も訪れて、次のような感動を覚えました。

  • ここは、ただコーヒーを飲んでひと休みする場所ではない。劇場だ。ここにいること自体が、素晴らしい体験なのだ!

そして、ハワード・シュルツは帰国後、スターバックスの創立者たちに、エスプレッソをメインにしたドリンク類の販売を提案しました。そして、自分がイタリアで受けた感動と同じ体験を、シアトルで再現しようと試みましたが、聞き入れてもらえることはできませんでした。そのため、自らの理想とするコーヒーを楽しんでもらえるよう、次のように行動を起こしました。

  • 1985年:スターバックスを退社
  • 1986年:コーヒーを店頭販売するために「イル・ジョルナーレ社」を設立
  • 1987年:スターバックスを購入

ハワード・シュルツは、スターバックスを退社した後、イタリアでの体験を元に、エスプレッソをメインにしたテイクアウトの店を作りたいと考えていました。そして、その情熱に惚れ込んだ人物から、資金の提供を得ることができ、コーヒーとアイスクリームを提供する「イル・ジョルナーレ」の設立に至ります。

イル・ジョルナーレの店は、ミラノのエスプレッソバーに影響を受けた店舗で、GBMにはオペラが流れていました。そして、そのイタリア色の強い雰囲気が、シアトルの学生やキャリアウーマンの間で好評を博して大流行となり、店舗数を増やしました。そして、34歳時の1987年に、地元の投資家たちから資金をかき集めてスターバックスを買収し、ロゴや商標権、店舗や社名も含め、計380万ドル(約4億円)で買い取りました。

ハワード・シュルツは、お客さんの一人ひとりが心地よく店で過ごすことのできる、家庭や職場でもない第三の場所「サードプレイス」を作るためには、最高のスタッフが必要だと考え、次のような経営方針を打ち立てました。

  • まず従業員が会社を愛していなければならない。最も大事なのは、現場の愛だ。

そのため、ハワード・シュルツは、スタッフを「ビジネスパートナー」と呼び、当時としては異例のパートへの健康保険の適用を行うなど、福利厚生を手厚くしました。さらに、1991年には、パートを含む全社員が自社株を売買できる「ビーンストック制度」をアメリカ企業で初めて導入しました。その結果、一般的な小売店やファーストフード店の離職率が140~400%である一方、スターバックスは60~65%程度にまで低下しました。

そしてハワード・シュルツは、1992年にスターバックスをナスダックへ上場して株を公開し、1992年から2000年まで、年平均成長率49%という驚異的なスピードで成長を続け、次のように店舗数を増やしていきました。

  • 1987年買収当時:11店舗
  • 1987年:17店舗
  • 1990年:84店舗
  • 1992年:165店舗(この年に上場)
  • 1995年:676店舗
  • 1996年:1,015店舗(北米以外の海外へ初出店)
  • 1998年:1,886店舗
  • 2001年:4,709店舗
  • 2002年:5,000店舗突破
  • 2003年:7225店舗
  • 2004年:8569店舗
  • 2005年:10,000店舗突破

そして、1996年、アメリアとカナダの店舗数の合計が1,000店舗を超えたとき、ハワード・シュルツは、ついに北米以外の海外への初出店を果たします。そして、海外1号店に選ばれたのが、日本の東京でした。

ハワード・シュルツは、コーヒーショップという差別化の難しい業種の中で、「コーヒーを楽しむ居心地の良い空間」という付加価値を与えることで、スターバックスのブランド価値を確立し、「スターバックスでコーヒーを飲むことがステータス」といえるほどのレベルにまで、ブランド価値を高めたのでした。そして、ハワード・シュルツは、海外展開に更に力をいれるために、47歳時の2000年に、スターバックスをのCEO(最高経営責任者)を引退しました。

ハワード・シュルツは、自分のイタリアのエスプレッソバーでの経験を元に、常に顧客によい体験を持ってもらうということを一番に考えた人物だと言えます。ハワード・シュルツは、「コーヒーの品質」・「店の雰囲気」・「スタッフの質」の3つを高いレベルに保つことを理想としたため、多くの投資家たちの応援を得ることができた、イル・ジョルナーレ社の設立や、スターバックスの買収を果たすことができました。スターバックスは、客単価が低い分、何度もお客さんに通ってもらう必要あがりますが、素晴らしい体験を売り続けることで、奇跡ともいえるカフェチェーンの世界展開を成し遂げたわけです。

ハワード・シュルツとは:2.信頼を取り戻すためには手段を選ばない

ハワード・シュルツとは、「2.信頼を取り戻すためには手段を選ばない」という特徴があります。ハワード・シュルツは、2000年に47歳でCEOを引退し、その後、スターバックスも順調に店舗を増やして、成長を続けたかに見えました。しかし、スターバックスは成功にあぐらをかいたような状態が続き、無理な出店計画により、クオリティは低下していきました。さらに、チーズの焼けたにおいが店内にあふれるような新商品を開発して、コーヒーの香りを台無しするなどして、信頼性はどんどん失われていきました。また、ライバル店の登場もあり、どんどん業績も低下し、ついに、2008年には赤字に転落し、株価も最高値の時から81%も下落しました。ハワード・シュルツはこの状況を憂い、経営陣にメールを送りましたが、そのメールが社外にリークされ、さらに大騒ぎになって手に負えなくなるという、惨憺たる状況に見舞われました。

誰もがスターバックスがかつての栄光を取り戻すのは不可能だと考える中、ハワード・シュルツはスターバックスの再建を目指して、55歳時の2008年、再びCEOに復帰しました。シュルツは、芸術とも言えるエスプレッソを提供できないスターバックスに価値はないと考え、次のような張り紙を貼り、アメリカの7,100店舗全てを一時的に閉鎖することを決意しました。

  • 完璧なエスプレッソを作るための研修中です

このハワード・シュルツの決断は、命取りになりかねない危険な賭けでした。というのも、売上がただでさえ低迷している中、全米で店を1日閉めるだけでも、1日に数百万ドルの損失が生じます。さらに、研修中であることを好評することは、スターバックスの質が低下していたことを認めることにもなるからです。それにも関わらず、休店は実施され、全バリスタがエスプレッソ作りの再教育を受けました。このときに研修を受けたスターバックスで働くバリスタは、延べ13万5,000人にもなったと言われています。

そして研修の甲斐もあり、スターバックスのブランドもかつての信頼性と威光を取り戻しました。そして2010年には、スターバックスの過去40年間の中でも最高の業績を達成し、株価は3倍になり、さらにアメリカの既存ショップの売上も8%増えました。

ハワード・シュルツは、全米の店舗を一時閉鎖する時、「再建という先の長い道のりを進むには、まず一歩下がるしかなかった」と述べています。前に進むために、むしろ戻り、かつての原則を考え直すことで、誰もが不可能と考えていた奇跡を起こすことを可能としました。

ハワード・シュルツとは:3.何よりも必要なのは情熱である

ハワード・シュルツは、「3.何よりも必要なのは情熱である」という特徴があります。ハワード・シュルツが55歳時の2008年より行ったスターバックスの立て直しの具体的な手法は、そのインパクトの強さから、一時閉店してバリスタの研修を行った手法のみが取り沙汰されがちです。しかし実際は、次のような改革も行っています。

  • コーヒーの香りを損なうような新商品は廃止
  • スターバックス1号店の名前を冠した新しいコーヒーを開発
  • 企業を買収して、コーヒーマシンの改良を実施
  • 現場の声を取り入れて、営業方針を改善
  • 約600店舗を閉鎖し、スタッフ約1,800人を解雇
  • ニューオリンズで、店長1万人以上へのリーダー会議を4日間実施
  • 3年前に被災していたニューオリンズで、リーダー会議のスタッフとボランティア活動に参加

このような作業を通じて、ブランドイメージの回復を行い、さらに、スタッフとの一体感を強めていくことで、スタッフ皆が、スターバックスを愛する気持ちと志を取り戻していきました。そして、ハワード・シュルツが復帰してわずか2年で、スターバックスは立ち直ったわけです。

また、ハワード・シュルツは、「戦略と戦術だけでは混乱を乗り越えることはできない。何より必要なのは情熱だ」と述べています。そしてまた、「ブランドには愛が必要」とも述べています。ハワード・シュルツは、常に情熱を持って行動し、ブランドへの愛をもって、あらゆる局面を打開してきたわけです。

ハワード・シュルツとは:まとめ

ハワード・シュルツは、その後、64歳頃の2017年にスターバックスのCEOを辞任して会長職にとどまりながら、スターバックスのハイエンドショップの開発プロジェクトに携わりました。そして、65歳頃の2018年6月26日に会長職も退任し、名誉会長となって、経営から退きました。

シュルツさんがスターバックス中興の祖であり、買収した当時は11店舗しかありませんでしたが、「スターバックス帝国」と呼ばれるほどの成長と拡大を牽引し、2018年には全世界に2万8,000店舗以上、株価は約210倍となり、次のように外食チェーンの店舗数は驚異的な数を誇っています。

アメリカの店舗数 世界の店舗数
1位 サブウェイ サブウェイ
2位 スターバックス マクドナルド
3位 サブウェイ スターバックス

そして、ハワード・シュルツさんは、大成功を収めたにふさわし莫大な資産を持つ、アメリカを代表するビリオネアの一人でもあります。2007年には長者番付に初登場して、資産額11億ドルで840位。さらに2016年には資産31億ドル(約3,395億円)で232位、2018年には資産35億ドルとなりました。

ただし、順風満帆に拡張を続けているように見えるスターバックスも、決断を迫られることも多く、例えば、日本に初めに出店するときは、コンサルタントよりストップをかけられ、「日本には競合が多いので、絶対に成功しない」と言われた中で出店を行いました。しかし今では、日本のスターバックスの店舗数は、日本のカフェでNo.1の店舗数を誇るドトールコーヒーに迫る勢いで、売上ではすでにドトールコーヒーを抜き、日本での盤石の地位を固めています。

また、日本では、逆に、スターバックスが身近にないのがおかしいくらいの状況になり、唯一スターバックスのない都道府県であった鳥取県の知事より「鳥取にはスタバはないけど、日本一のスナバ(鳥取砂丘)はある」という名言も生まれ、話題となりました。そして、その発言に呼応した地元の企業が2014年に「スタバ」ならぬ「すなば珈琲」を開店して、2017年に行われた「鳥取県に関する話題の認知度」では堂々の1位を獲得してしまうという珍事もありました。その鳥取県にも、2015年にスターバックスは出店を果たし、ついに、日本の47都道府県にスターバックスが揃っています。日本のスターバックスは、世界的に見ても店舗数は多く、次のようになっており、日本での成功が伺われます。

スターバックスの店舗数
1位 アメリカ
2位 中国
3位 カナダ
4位 日本
5位 韓国

一方、コーヒーのスモールショップが人気で古くからコーヒー文化の根付いているオーストラリアでは苦戦を強いられ、2018年にはスターバックス全店舗がオーストラリアより撤退するといった事態も経験しています。また、中国では、地元発の「瑞幸(ラッキン)コーヒー」が猛追を見せており、2019年5月には、瑞幸コーヒーはアメリカで新規株式公開を行い、資金5億6,100万ドル(約615億円)の調達に成功し、今後のスターバックスとの激しい攻防が予想されています。

また、スターバックスの地元アメリカでも、例年業績の悪い約50店舗を閉店していましたが、2019年には150店舗の閉鎖を検討しており、長期の戦略シナリオの変更を迫られています。

以上のように、スターバックスが世界的なカフェチェーンとなった現在でも、まだまだ余談を許さない状況は続くかもしれません。しかし、ハワード・シュルツの「スターバックス愛」がスタッフに継承され続ける限り、スターバックスは他のカフェチェーンとは一線を画した存在であり続けることができるかもしれません。

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