柳井正とは

柳井正とは

柳井正とは、ユニクロを運営しているファーストリテイリングの創業者であり、社長です。1949年生まれなので、2019年現在で70歳になります。

柳井正とは、次のような人物です。

  1. 成長を目指す
  2. 安定に危機感を持つ
  3. 積極的な挑戦こそが生命線

それぞれについて、説明していきます。

柳井正とは:1.成長を目指す

柳井正とは、「1.成長を目指す」という特徴があります。柳井正さんは、早稲田大学政治経済学部に進学しましたが、遊んでばかりの生活で、大学卒業後の就職活動でも失敗し続け、自堕落な生活を過ごしていました。その後、ジャスコ(現在のイオン)に入社するも、働くのが嫌になり9ヶ月で退職し、さらに友人宅への居候生活を経て、最終的に、家業である父親の紳士服店「メンズショップOS」の販売の手伝いをするようになりました。

柳井正さんが、事業の成長を積極的に目指すようになったのは、父親の家業を12年間手伝った後、家業をついだ35歳時の1984年9月からです。柳井正さんは、家業をついだ時期の前後より積極的に経営に関わるようになり、成長を目指して、次の3つの改革と転換を行いました。

  1. カジュアル衣料品の小売店への転換
  2. 中国の優良な商品への転換
  3. 製造小売業(SPA)への転換

「1.カジュアル衣料品の小売店への転換」とは、小売で扱うファッションのジャンルを変更し、カジュアル衣料品への転換を図ったことです。柳井正さんは、父親の事業として紳士服の販売を手伝っていましたが、大手紳士服店である「洋服の青山」や「アオキ」との競合を避ける必要があると感じていました。そして着想したのが、カジュアルな衣料品の販売でした。そのため、柳井正さんは、社長に就任する3ヶ月前の1984年6月2日にユニクロ1号店を広島に出店し、その後、直営店を主にしながら全国展開を続け、1997年4月には、直営店舗200店以上、フランチャイズ10店舗以上となって東証2部に上場を果たしました。さらに1999年には、直営店舗300店以上、フランチャイズ11店舗以上となり、東証1部銘柄に指定されるまでに至っています。

「2.中国の優良な商品への転換」とは、中国の工場と直接契約をして、商品を安く提供する事業モデルへの転換を図ったことです。ユニクロは、当初は、著名なブランドのアパレルを扱う、ナショナルブランドのショップでした。しかし、柳井正さんは、品質のよい衣料品を製造する工場から、低価格で商品を調達することにより、高品質の衣料品を安価に提供できるショップを構築しました。今でこそ、中国の工場から安く仕入れるのは常識となっていますが、柳井正さんは、その方式をいち早く取り入れた人物でした。

「3.製造小売業(SPA)への転換」とは、アメリカの衣料品小売店の「GAP」をモデルとして、独自のプライベートブランドを製造して販売する「製造小売業(SPA)」への転換を図りました。ユニクロは、商品を企画から製造、そして販売までを一貫して行う「製造小売」へと転換を図ることで、日本の状況にマッチした柔軟な商品開発と、宣伝を行っていきました。その結果、フリース業界では2~3万枚売ればヒットと言われる状況において、1998年には200万枚のフリースを売り上げ、一気に知名度を挙げました。また、売上も1,000億円を超え、その後は、倍々ゲームでの成長を続け、「フリース旋風」とも呼ばれるほどのブームを巻き起こしました。さらに翌年の1999年にはフリース850万枚を完売、2000年には2600万枚を販売し、衣料品業界で革命的な事業を成し遂げました。

その後、ユニクロは2002年8月期の決算で上場後初めて収益が減少し、「ユニクロ商法の限界」とマスコミに囃し立てられましたものの、柳井正さんは「『成長より膨張』でただ売れ続けている時期が終わり、これからやっと正常な商売ができる」と、ほっと胸をなでおしたと言われています。そして、2002年の減収を見届けた同年の2002年11月、柳井正さんは53歳と若かったにも関わらず、常務であった40歳の玉塚元一さんに社長をの座を譲り、柳井正さんは会長に退きました。柳井正さんが社長を退いた理由は、「店舗経営を玉塚元一さんに任せることで、自らはM&Aなどによるグローバルな転換に挑戦したい」という思いからでした。

柳井正とは:2.安定に危機感を持つ

柳井正とは、「2.安定に危機感を持つ」という特徴があります。柳井正さんは、2002年に社長を玉塚元一さんに譲りましたが、2005年、事実上、玉塚元一さんを解任する形で再び社長に復帰しています。

柳井正さんが社長に復帰したのは、玉塚元一さんの、堅実で安定を求めるやり方に危機感を覚えたためでした。実際、2002年以降、ユニクロの在庫は急増し、さらに2001年8月に進出したイギリスの出店も業績が振るわず、2003年には利益が大きく落ち込むという事態に陥りました。また、2004年に行った「ナショナルスタンダード」の買収も、採算の目処が立たず、その後解散となっています。

そのため、柳井正さんは、玉塚元一さんを追放する形で、再び社長として復帰しました。2005年に社長に就任した際、柳井正さんは、第二創業宣言を発し、「即断、即決、即実行」をモットーに掲げ、新しいユニクロの躍進が始まります。ユニクロの本格的な海外進出が始まったのも柳井正さんが再び社長職に返り咲いてからで、2005年にはは3,000億円だった年間売上高が、2013年には1兆円を突破、さらに2018年には2兆円を突破し、同年初めて、海外ユニクロの売上高が国内ユニクロの売上高を上回りました。

さらに2018年の売り上げで見ると、次のように、ユニクロはアパレル業界で世界3位の位置につけています。

  1. ZARA率いるインディテックス(スペイン):3兆2420億円(前年比3.2%増)
  2. H&M率いるH&Mグループ(スウェーデン):2兆5,250億円(前年比5.2%増)
  3. ユニクロ率いるファーストリテイリング(日本):2兆1,300億円(前年比14.4%増)

また、インディテックスやH&Mグループの売上の伸び率が1桁だったのに対し、ファーストリテイリングは2桁の増収を記録しており、今後、さらに伸びることも期待されます。ちなみに、2017年には、柳井正さんが製造小売業(SPA)の参考にしていたアパレル業界3位だったアメリカのGAPも、ファーストリテイリングが追い抜いています。このような現状を見ても、柳井正さんがユニクロの安定に危機感を覚え、玉塚元一さんを退任させたのは、正しい決断だったといえるかもしれません。

実際、玉塚元一さんは、エリート家系で華々しい経歴を持つものの、ユニクロの社長解任後、2006年1月にロッテリアの会長兼CEOに就任してもロッテリアの経営再建に乗り出すも大した業績を残せず、さらに2014年5月にローソンの社長、2016年6月にはローソンの会長となるも、やはりローソンで大した業績を残せませんでした。そして、結局、ローソンの株主である三菱商事に、事実上、解任される形で、ローソンの会長職から降ろされています。そのため、柳井正さんがそのまま玉塚元一さんに社長を任せていたとしたら、今頃はユニクロが他社に買収されていたり、すでに存在していなかったりしていた可能性もあります。また、もしユニクロがなくなっていたら、今、ユニクロで働いている人たちの多くは、職もなく悲惨な末路をたどっていたかもしれません。

柳井正さんは、「結果的に安定成長はあり得るが、最初から安定成長を望んでいてはいけない」とも語っています。日本のトップ企業であるトヨタも、「健全なる危機感」をいう言葉をよく使っていましたが、順調な時にこそ、危機感を持って、新たな課題に取り組んでいこうとする姿勢が、経営者には必要なのかもしれません。

柳井正とは:3.積極的な挑戦こそが生命線

柳井正とは、「3.積極的な挑戦こそが生命線」と考えています。柳井正さんは、会社も個人も成長しなければ死んだも同然だと考えていました。

そのため、柳井正さんも、多くの挑戦を行って失敗しており、柳井正さんは、過去に3度、次のような大きな挑戦を行い、そのうちの2つを失敗しています。

  1. 野菜事業への挑戦
  2. 靴業界への挑戦
  3. ファミリー向けファッション事業への挑戦

「1.野菜事業への挑戦」は、2002年11月よりはじめられた生鮮野菜のネット通販事業です。柳井正さんは、自然本来の持つ力を引き出す『永田農法』を行う永田農耕研究所と業務提携して「エフアール・フーズ」という子会社を作り、「SKIP(スキップ)」というブランド名で食品事業に参入しました。さらに、ネット通販だけでなく、2003年には実店舗も数店舗経営しました。しかし、結局、安定的な商品の供給ができず、1年半後の2004年3月に、26億円の赤字を出したまま解散しました(ファーストリテイリングのホームページの記載では、撤退は4月)。

「2.靴業界への挑戦」は、2010年8月より開始された靴の販売です。ユニクロは、2005年~2006年に靴会社を買収したり、靴会社に出資しており、それらを統合して「キャンディッシュ事業」として2010年8月より靴の販売を開始しました。しかし、ユニクロの経営戦略と合わず、結局、2011年8月には撤退しています。

「3.ファミリー向けファッション事業への挑戦」は、2006年に立ち上げられた、低価格路線でのファッション事業です。その事業は「GU」という名前で立ち上げられたものの、当初は製造小売(SPA)ではなく、委託製造(OEM)の商品であったため、アパレル商品に統一感もありませんでした。また、コンセプトもはっきりしないブランドで、「ユニクロの商品の7割り程度の、安い普通のアパレル商品」という名目の元で続けられていたため、2007年までは苦戦を強いられていました。しかしその後、野菜事業を手掛けていた「エフアール・フーズ」の元社長である柚木治さんのアイデアで、コンセプトを明確にし、「トレンドの服は着たい。でもバーゲンでないと高くて買えない。そんな若者にトレンドど真ん中を今すぐ買える価格で提供しよう」という方針へと転換。さらに、事業形態の見直しやSPA化を勧め、全商品の約8割をユニクロの半値以下で提供することに成功し、GUは大きく躍進します。そして2015年10月には、和歌山県和歌山市への出店を果たして、全都道府県への展開も達成。2018年時には、393店舗を構え、海外への出店も徐々に進められています。

しかし、柳井正さんの最大の挑戦といえば、やはりユニクロのグローバル化でしょう。ユニクロのグローバル化により、2018年時には、海外の店舗の方が多くなっており、店舗数は次のような状況になっています。

  • ユニクロの国内店舗:合計827店舗(直営784店舗、フランチャイズ43店舗)
  • ユニクロの海外店舗:合計1,241店舗

さらに、ユニクロでは、2010年より「英語の社内公用語化」が勧められており、2012年3月よりは、本社社員と店長の約3,000人に、TOEIC700点以上が義務化され、話題とのもなりました。

ただし、ユニクロの海外展開も順風満帆だったわけではありません。2001年9月には、国外初の店舗として、イギリスに4店舗を出店してグローバル化の足がかりをつかみますが、玉塚元一さんが社長をしていた2002年~2005年は海外への出店もほとんど進まず、低迷していました。また、柳井正さんが社長に復帰してからも、イギリス・アメリカ・中国の出店では、次のような苦戦を強いられていました。

  1. イギリス:2001年に出店するも、イギリスの経営方針に合わせ失敗
  2. アメリカ:2005年に出店するも、郊外への出店で失敗
  3. 中国:2006年に出店するも、低価格路線で失敗

「1.イギリスでの失敗」は、イギリス最大手の小売チェーンの元社長をトップに据えて、イギリス流の経営を行おうとして失敗しました。イギリス流の経営では、トップダウン式のヒエラルキー構造になっており、本部をトップにして、店長、販売員という流れで経営が行われていました。しかし、問題点の1つめとして、本部の経費が非常に高いという問題がありました。また問題点の2つめとして、ユニクロの経営方針である、本部・店長・販売員が一体となって経営を行うフラット化の方針と合いませんでした。そのため、最終的に、日本からスタッフを送り込んでユニクロ流の経営が行われるようになるまで、イギリスでは苦戦を強いらていました。

「2.アメリカでの失敗」は、ニュージャージー州などの郊外のショッピングモールに出店してしまい、失敗しました。アメリカでは、ユニクロ自体の知名度が低いにも関わらず郊外に出店してしまったため、全く話題にもならず苦戦を強いられました。しかし、たまたま、ニューヨーク市マンハッタン区ダウンタウンの倉庫街であるソーホー地区に事務所を借りていたため、近くのビルで内装もせずに商品を置いていたら売れたことがきっかけとなり、アメリカで販売する足がかりをつかみました。そして、2006年11月10日に、ソーホー地区に1,000坪の広さの旗艦店をオープンし、さらに2011年10月14日にはニューヨーク5番街にメガストアを出店してマスコミでも話題となり、アメリカで成功を収めていきました。

「3.中国での失敗」は、2006年に北京市内に出店しましたが、苦戦を強いられ、一時閉店を余儀なくされる自体へと陥り、失敗しました。中国では、所得の低い中国の人向けに、安く作って売ったものの、評価されませんでした。中国では、昔の日本の欧米ブランドへの認識のように、「高い=品質が良い」という考え方がありました。そのため、ユニクロの商品を安く売ってしまったことにより、「安いから、品質が良くないに決まっている」と思われてしまったわけです。しかし、2006年7月の上海の「ガンフィ店」、同年12月の上海の「正大広場店」での感触を元に、品質と価格を日本と同レベルにすることで、ようやく中国での売上も安定するようになりました。そして、2008年3月29日には、北京の西城北大街に再出店し、「北京西単店」として、2年ぶりの中国本土へ出店を果たし、中国での快進撃の礎となりました。ユニクロの中国の店舗数は、2018年年時点で世界1位となっており、2位の韓国の186店舗を大きく引き離し、633店舗を誇っており、ユニクロの海外事業を牽引する存在となっています。

柳井正とは:まとめ

ユニクロは、現在、韓国での売上は低迷中は、韓国の不買運動の煽りを受けて苦戦を強いられています。というのも、2019年7月11日にファーストリテイリングの最高財務責任者(CFO)である岡崎健さんが「韓国の不買運動は長く続かないと思う」と発言してしまい、韓国の消費者より反感を買ってしまったためです。

また、今後のユニクロの売上増加については、柳井正さん自身もやや厳しい見方をしており、2009年9月2日に柳井正さんが発表した「2020年売上高5兆円構想」は、2016年10月13日の決算発表で「2020年売上高3兆円構想」に引き下げられました。しかし、ユニクロは未だグローバル化の途上にあり、まだまだ伸びしろがあるため、グローバル化で成功を収めているZARAやH&Mとは異なり、今後の展開もまだまだ期待できるものと思われます。

なお、現在の日本を代表する2大創業者として、柳井正さんと同じく名を連ねるのが、ソフトバンクグループの創業者である孫正義さんです。しかし、孫正義さんは、企業合併・買収(M&A)や資本提携により事業を拡大してきたため、投資家としての側面が強い実業家です。そのため、孫正義さんはお金儲けには長けている一方、会社を発展させるという意味では、学びを得にくい人物であるとも言えます。

逆に、柳井正さんは、2009年9月2日の「売上高5兆円構想」でも述べているように、「企業合併・買収といったM&Aよりも、自力成長に軸足を置いている」という特徴があります。そのため、柳井正さんは、単一の事業をベースにして展開を続け、自分でブランドを育ててきた人物という意味で、日本人にとっても馴染みやすい経営者であると言えます。そのため、柳井正さんの経営理念は、私たちの仕事の考え方にも活かしやすいといえるかもしれません。

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