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孫正義とは
孫正義とは、ソフトバンクグループの創業者で、社長です。孫正義さんは、1957年生まれなので、2019年現在で62歳になります。
孫正義さんとは、次のような特徴のある創業者です。
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次に、孫正義さんについて説明していきます。
孫正義とは:1.勝者のように振る舞う
孫正義とは、「勝者のように振る舞う」人物です。孫正義さんは、圧倒的な1位になれる業種として、日本に本格的な卸のなかったパソコンソフトの卸ビジネスに目をつけました。そして、1980年に23歳で、「ユニソンワールド」という会社を創業してコンピュータ業界で狼煙を上げましたが、そのとき、みかん箱の上に乗って、2人のアルバイトの前で、次のように語りました。
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2人のアルバイトは、この孫正義さんの演説に愛想をつかし、2週間後にはアルバイトの2人とも、仕事を辞めてしまいます。しかし、孫正義さんは、まだ事業らしい事業がほとんど行われていないときから、大言壮語と思われることでも、熱く語ることの人物でした。
孫正義さんは、翌年の1981年9月に、ユニソンワールドと経営総合研究所の共同出資により、ソフトバンクを立ち上げました。そして、「チマチマやっていても仕方ない。最初から大きく打って出よう。やるからには、その業界で絶対に日本一になってやる!」と考え、大勝負に打ってでました。それが、創業の翌月にあった「エレクトロニクスショー」への参加です。しかも、ソフトバンクの資本金は1,000万円しかなく、さらにそのうちの500万円は共同出資している経営総合研究所よりの資金であったにも関わらず、なんと800万の予算を使ってエレクトロニクスショーに参加して、松下電器やソニーと同レベルの大きなスペースを確保しました。そのため、当時ソフトバンクは全くの無名であったにも関わらず、まるで大企業のように振る舞うことができ、エレクトロニクスショーでは大盛況をおさめました。
しかし実は、エレクトロニクスショーの後の結果は惨憺たるもので、他の会社からの卸しの依頼は全くありませんでした。そして、事業はほぼ失敗だと思われていたとき、エレクトロニクスショーの1ヶ月後に、ついに連絡がきます。しかもその電話が、日本第2位の家電量販店「上新電機」の社長からでした。そして、上新電機へのパソコンの卸の話をまとめることができ、なんとか事業を軌道に乗せることができたわけです。ただし、その後も順風満帆だったわけではなく、孫正義さんの事業スタイルに不審をつのらせた経営総合研究所より、資本金500万の3倍の1,500万で持ち株を買うよう迫られたり、卸しのための資金の調達に苦慮したりといった困難もありました。しかしそれらの障害を乗り越え、ついに孫正義さんは、「日本一のパソコンソフト販売店」を作り上げることに成功しました。
孫正義は、勝つためには、ときに自分を大きく見せ、まるで勝者のように振る舞えるという特徴があるわけです。孫正義さんの大胆な戦略は、創業期のAppleを彷彿とさせます。Appleの経営面をサポートしていたマイク・マークは、まだ無名であったにも関わらず、大企業であるかのように振る舞うため、会社規模を大きく上回る30万ドルの広告費を投じ、パソコン市場で脚光を浴びました。
孫正義とは:2.強烈に印象づける
孫正義とは、「強烈に印象づける」人物です。孫正義さんは、PC雑誌にソフトバンクの広告を打とうとしましたが、パソコンソフト販売のライバル会社であるアスキー関連のPC雑誌であったため、断られてしまいます。そのため、ソフトウェア流通事業だけでなく、新しいインフラビジネスに進出することを決め、1982年5月、出版事業へも進出しました。そして、ソフトバンクにより創刊された雑誌が、パソコンの専門雑誌である「Oh!PC」と「Oh!MZ」です。しかし、創刊号の80%は返品され、さらに、毎月2000万円の赤字を出し続けるという事態に陥ってしまいました
そのとき、孫正義は次のように考え、一気に広告費をかけるという決断を行います。
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そして、孫正義さんは、失敗すれば、大損になるだけでなく、業界でも笑いものにもなるほどの賭けを行います。それが、発行部数を従来の倍以上になる10万部以上行い、さらに1億円をテレビ広告などに投じるという勝負でした。そしてその結果、なんと3日で雑誌を売り切り、さらにお荷物だった雑誌は、黒字を生む人気雑誌へと生まれ変わり、大成功を収めたわけです。
もちろん、大成功を収めたのは、広告による効果だけでなく、細かい配慮も行っています。例えば、数万枚の読書カードの全てをチェックして雑誌の改善を行い、価格も100円安くして680円から580円に変更したりしました。しかし、広告費に1億円を使うというのは、当時マニア向けであり、読者も限定されるパソコン雑誌としてはありえないPR戦略で、広告関係者も目が点になるほどでした。しかし、その甲斐あって、出版事業は初年度の売上は8億円、翌年には35億円と好調が続きました。
その後、1985年に、再び、出版事業は赤字を計上し、年間2億円の損失を出してしまい、さらに刊行している8雑誌中、7雑誌が赤字という悲惨な状況に陥ります。このときも、孫正義は同じように広告戦略を展開し、半年後には8雑誌中7雑誌の黒字化に成功。また、赤字だった1雑誌のスタッフも、ムック部門として再出発することで、全ての雑誌を黒字化することに成功しました。その後、孫正義さんの出版事業は快進撃を続けて23雑誌にまで拡大し、ソフトバンクの出版部門は隆盛を極めました。
孫正義さんは、出版業だけでなく、その後の事業でも大きな広告費を投じ続けています。例えば、2001年(平成13年)9月より参入した、インターネット事業の「Yahoo!BB」でも、当時のADSLが1.5Mbps回線で月額4,000円~6,000円程度だったのに対し、8Mbps回線で月額3,017円という価格破壊を行い、そのことを大々的に宣伝しました。さらに、街頭でもモデムの無料配布を行うなど、通常ではありえないような高コストのキャンペーンを次々と展開し続けました。その結果、2002年3月にはNTT東日本・NTT西日本と同程度の50万人の会員を獲得し、さらに2002年8月にはシェアNo.1となり、2003年4月時には250万人の加入者数となりました。
「Yahoo!BB」は、過剰はサービスや広告費で一時は2,000億円を超える大赤字を出していたものの、2005年(平成17年)にはユーザー数増加の効果が見られるようになって、ようやく黒字化しています。そして、その後の2006年の、ボーダフォン買収による携帯モバイル通信事業参入への足がかりともなりました。
孫正義さんとは、「分相応に」と小さく出ず、大きく出て、業界に強烈に印象づける方法をとる人物です。そのため、幾度となく失敗も繰り返していますが、「勝率は7割でいい。あとの3割が失敗しても、すぐに撤退すれば問題ない」との哲学を持っており、失敗を恐れずに行動を起こします。そして、成功するときは桁違いの成果を上げながら、現在のソフトバンクグループを築いてきたわけです。
孫正義とは:3.グランドデザインを行う
孫正義とは、「グランドデザインを行う」人物です。孫正義さんは、次のように、100年単位での事業のグランドデザインを行っていることで知られています。
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といっても、孫正義さんの300年計画は、成功を収めた後で考えらられた目標、という側面があります。ソフトバンクは、2014年にNTTの売上・営業利益・最終利益の全てを抜き、ナンバーワンの通信事業者となり、孫正義さんは100年単位での構想は、その後に作られているためです。
しかし実は、孫正義さんは、昔から、グランドデザインに基づいて行動してきた方です。孫正義さんが、大きな志を持って行動することを旨とするようになったのは、15歳のとき、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで衝撃を受けたことがきっかけでした。そして、16歳の高1の夏にアメリカに1ヶ月間留学して世界の広さに衝撃を受け、坂本龍馬が脱藩したときと同じ覚悟で、退学届を出して海外へ飛び立ちます。
また、孫正義さんのグランドデザインとして最も有名なのが、アメリカに留学中の19歳のときに立てた「人生50年計画」で、次のようなものです。
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実際、孫正義さんはこのグランドデザインをなぞる人生を歩んでおり、40代には「ひと勝負」だけでなく、「Yahoo!BB」と「ボーダフォン買収」という2つの勝負に挑んでいます。
また、孫正義さんのグランドデザインを語るものとして、大学留学から帰国後の「ユニソンワールド」創業時のエピソードも欠かせません。孫正義さんは、事業を開始するときに、自分の戦う土俵を選ぶために25項目の条件を並べました。その25の条件には、「儲かる」「やりがいがある」といった月並みの条件だけでなく、「日本一になりうる」「人を幸せにできる」「世界中に拡大できる」「世の中の役に立つ」といった壮大な条件も加えられていました。しかも、月並みの条件は20~30点満点にする一方、壮大な条件は50点満点と重み付けを大きくして評価して、総合点の高い事業を選択しています。孫正義さんにとって、事業を選ぶときも、「大きな事を成す」というのを重視していたことが分かります。
また、すでに説明していますが、23歳でユニソンワールドを創業したときも、アルバイトの前で5年後、10年後の事業を語っています。さらに、1983年に孫正義さんが慢性肝炎で医師に余命5年と告げられて失意のどん底に沈んだときも、坂本龍馬を引き合いに出して自分を奮い立たせました。坂本龍馬は、脱藩してから亡くなるまでのたった5年で大きな仕事をしたため、坂本龍馬を見習って「自分も5年の中で、命にかけて何かできることを成そう」と奮起しています。
以上のように、孫正義さんは、常に将来を見据え、大きな目標を持って行動を続けてきた人物で、孫正義さんは、グランドデザインについて「ビジョン」と呼んでいます。大きなビジョンを持って仕事を行っている人物といえば、Amazonの創業者であるジェフ・ベゾスも有名で、ジェフ・ベゾスは「歴史をつくろう」をモットーとし、雄大なアマゾン川のような世界最大の本屋を作ることを目標にしてAmazonを立ち上げました。事業で偉大な業績を残す創業者たちは、若い頃より、常に日本や世界を変えることを意識して、行動してきたと言えるのかもしれません。