カップラーメンの歴史

カップラーメンの歴史:紙コップとの出会い

カップラーメンの歴史は、日清の安藤百福さんにより始められました。

安藤百福さんが、世界で初めてのインスタントラーメンである、袋入りの味付きインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発したのは1958年(昭和33年)のこと。その後、「チキンラーメン」は爆発的なヒットを記録し、全財産を失っていた安藤百福さんは、インスタントラーメンを販売してわずか5年後の1963年(昭和38年)には、自社の「日清食品」で東証2部上場を果たすまでに至ります。

しかし、インスタントラーメンを扱う会社は日に日に増し、たちまち300社を超えるまでに至りました。そのため、インスタントラーメン業界での競争が激化していることに危機感を抱いた安藤百福さんは、販路を海外へと求めることにしたわけです。

しかし、海外には、日本のように丼ぶりを使う文化がないため、インスタントラーメンのお手軽さが損なわれるという難点がありました。そんな難点をなんとか解決できないかと考えていながらアメリカ西海岸のスーパーマーケットで営業していた1966年(昭和41年)、安藤百福さんが、実演用の丼ぶり代わりに店員に渡されたのが、紙コップでした。それを見たとき、安藤百福さんは「紙コップには、こういう使い方があるのか。新しい即席麺は、紙コップのような容器に入れてみてはどうだろう」と閃き、容器入りインスタントラーメンであるカップラーメンの開発が始まります。

カップラーメンの歴史:挫折

カップラーメンの歴史の中で、当初の問題は、容器の素材の選択でした。コップ型の容器に麺を入れるとしても、熱湯を入れても大丈夫なもので、手に持っても熱くなく、さらに軽いものでなければなりません。

そこで、素材に選ばれたのが、熱の伝わりにくい発泡スチロールでした。しかし、割れ目ができたり破れたりしては話にならないため、素材を選んだ後も、さまざまな改良が加えられました。また、匂いがついてしまう問題を解決する必要もありました。実は、明星食品が1961年(昭和36年)にカップラーメンの試験販売をしたこともありましたが、このときも、ラーメンにカップの匂いが移ってしまうという問題があったため、継続販売を中止していました。そのため、容器の匂いを取る工夫として、容器の製造時に熱風で匂いを取る方法も考え出されました。

そして、1966年(昭和41年)に、安藤百福さんの日清でもカップラーメンの試験販売を開始しますが、当時の発泡スチロールでは満足のいくカップラーメンの容器は作れず、カップラーメン作りは頓挫します。

しかし、他社がインスタントラーメンのヒット商品を送り出す中、安藤百福さんは危機感を覚え、1969年(昭和44年)に、再び、カップラーメンの開発に乗り出しました。

カップラーメンの歴史:容器の問題の解決

カップラーメンの歴史の中で、容器には、次の3つの問題がありました。

  1. 容器の素材の選択
  2. 容器の密閉の方法
  3. 容器の形

「1.容器の素材の選択」は、当時、開発中だったポリスチレンという合成樹脂のシートの情報を入手し、試行錯誤の末、用いられることになりました。

「2.容器の密閉の方法」は、安藤百福さんの妻が、機内食からヒントを得ました。飛行機の機内食を参考にして、機内食と同じように、紙にアルミ箔をコーティングした蓋を使って、しっかりと密閉する手法を用いることになりました。

「3.容器の形」は、片手で持つことが可能で、しかも滑りにくく、置いたときの安定感も考慮する必要がありました。そのため、安藤百福さんは、30~40種類の容器案を作成させ、多くの社員の意見を聞きながら、1ヶ月以上かけて、現在の形に絞り込みました。

カップラーメンの歴史:麺の作り方の問題

カップラーメンの歴史の中で、麺には、次の2つの問題がありました。

  1. 麺の製造方法
  2. 麺を容器に入れる方法

「1.麺の製造方法」は、カップラーメンの場合、麺の塊に厚みがあるため、従来のチキンラーメンと同じ製法で油で揚げても、外側しか揚げることができないという問題がありました。そのため、全体に火を通すことができるよう、枠型を変える工夫をして対応しました。

「2.麺を容器に入れる方法」は、容器より小さい塊にして中に入れると、麺が輸送時の衝撃で壊れるという問題がありました。そのため、安藤百福さんが考え出したのが、麺が容器の底に当たって衝撃で壊れないように「容器の中で麺を宙吊りにする」という方法で、下に空間を作って、容器のサイドで引っ掛ける方法を考案しました。

しかし、麺を宙吊りするという発想自体はよかったものの、容器の中間に麺を固定しようとしても、上から押し込むと麺が壊れてしまうため、麺を容器に入れる方法は、困難を極めました。さすがに社員も、この問題を解決するのは困難だと考え、不可能だとさじを投げる社員や、容器の形を変えることを提案する社員もしました。

しかし、決して諦めなかった安藤百福さんでしたが、あるとき、日々の疲れせいか、布団の中で、「天地がさかさまになる」という錯覚に陥ります。このとき、安藤百福さんの中で、解決法がひらめいたのでした。

そして、思いついたがの、「麺を容器に入れる」のではなく、「麺をさかさにおいて、容器を上からかぶせる」という方法でした。そして、容器をくるっと1回転させると、麺は容器の中間で宙吊りになって落ち着きました。

安藤百福さんのこのアイデアは、「中間保持」と呼ばれ、現在のカップラーメンにも用いられる製法です。私たちが、普段何気なく食べているカップラーメンですが、その中身や容器には、血のにじむような研究が繰り返されていたわけです。

カップラーメンの歴史:世界初のカップラーメンの販売

カップラーメンの歴史は、1971年(昭和46年)、世界初のカップラーメン「カップヌードル」により拓かれます。当時100円(現在の貨幣価値で約220円)という価格であったにも関わらず、「食器を兼ねるカップめん」はたちまち話題を呼び、1日で数万食が完売するほどの大ヒットを記録しました。

また、カップラーメンは、その利便性だけでなく、災害時などの非常食としても利用することができる画期的な商品であったため、国内だけでなく、世界中に普及していくこととなりました。

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