イケアの創業者

イケアの創業者

イケアの創業者である、イングヴァル・カンプラードとは、スウェーデンの実業家です。戦前の1926年生まれで、2018年1月27日に91歳で亡くなりました。イケアの創業者のイングヴァル・カンプラードさんは、次のような特徴のある創業者です。

  1. 値段を下げるためには、どんな苦労も厭わない(いとわない)
  2. 価格以外の価値を見つける

イケアの創業者である、イングヴァル・カンプラードとは、どのような特徴があるか、見ていきます。

イケア(IKEA)の創業者:1.値段を下げるためには、どんな苦労も厭わない

イケアの創業者の、イングヴァル・カンプラードさんとは、「1.値段を下げるためには、どんな苦労も厭わない(いとわない)」ということを重視した方でした。

イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードさんは、1926年(昭和1年)にスウェーデン南部のエルムフルト市にあるスモーランドのアグナリッドで生まれました。ちなみに、この「スモーランド」という場所の名前は、現在のイケアのキッズスペースの名前である「スモーランド」としても使われています。

イングヴァル・カンプラードさんは、生まれながらに失読症を患っており、第一次世界大戦後の貧しい農場で育ちました。しかし、子供の頃から商売っ気があり、次のように、商売に目覚めていきました。

  • 5歳:近所の人や同級生に物を売りはじめる
  • 7歳:買い付けて売るようになり、取り扱い商品を拡大
  • 17歳:会社を立ち上げ、イケア(IKEA)と命名

「5歳」の頃より商売を初め、マッチや、森でとったリンゴベリー、川で釣った魚、花の種などを売るようになりました。

「7歳」で自転車で遠出できるようになると、スウェーデンの首都であるストックホルムで、大量にマッチを購入すると安く仕入れられることを発見し、それを安価に単品販売で売りさばくことにより、利益を出すようことを覚えました。その後も、ペンや鉛筆、クリスマスツリーの装飾品などを仕入れて売るようになり、取り扱い商品は拡大していきました。

「17歳」時の1943年頃に会社を立ち上げましたが、その資金は、失読症を努力で克服し、勉強でよい成績を修めたために、父親からもらえた奨励金が、元になっていました。そして、雑貨通信販売店として「イケア(IKEA)」を創業し、これが後に、世界的な家具のチェーン店となっていきます。

イケアは、当初は、家庭用雑貨をいろいろ扱っており、文具、財布、ペン、写真立て、テーブルランナー(テーブルの中央に掛ける帯状の布)、ナイロンストッキング、腕時計、宝石などを扱い、「早く安く売る」ことを目的としていました。そのため、今の通信販売と同じように、電話や郵便で注文を受け付け、配達は牛乳運搬用のトラックで行っていました。そして、イングヴァル・カンプラードさんが19歳時の1945年には、地方紙に広告を出すまでになりました。

21歳頃の1947年頃、安く仕入れられる地元の家具業者を見つけ、家具の販売をはじめようと思い立ちました。欧州には優れたデザインの家具が多いですが、高いものが多く、一般家庭には手が届かない価格帯でした。北欧の家具といえば、日本でも高いイメージがありますが、現地の欧州でも高価だったわけです。そのため、イングヴァル・カンプラードさんは、「いくらデザインが最高でも、人々がそれを買えなければ意味がない」と考え、中低所得者向けに、家具を低価格で販売することを考えました。通信販売による家具の売上は順調に伸び続け、25歳頃の1951年には、家具だけを載せたカタログを初めて発行し、イケアは家具専門のお店となり、30歳頃の1950年代半ばには、カタログの発行部数が50万部を突破しました。

以上のように、イケアは、順調に発展していきましたが、ここで、一つの問題が置きます。それは、イケアの家具を安く販売する「低価格戦略」が、家具メーカーからの反感を買ってしまったことです。そのため、家具メーカーから取引を中止されてしまい、家具を手に入れることができなくなってしまいました。しかし、イングヴァル・カンプラードさんは、「値段を下げるためにはどんな苦労もいとうな」という信条がありました。そのため、30歳時の1956年頃より、次のような2つの戦略を用い、安い家具を再び提供できるようにしました。

  1. 家具の製造小売業(SPA)化
  2. 家具のセルフサービスシステム

「1.家具の製造小売業(SPA)化」とは、自社で製造して、そのまま売るシステムのことです。イングヴァル・カンプラードさんは、家具メーカーからの取引が中止されため、当時共産圏であり、労働力が極端に安いポーランドに注目しました。そして、ポーランドから安い家具を仕入れることで、活路を見出しました。そして同時に、イングヴァル・カンプラードさんは、現在のイケアの原型となる、家具のデザイン・開発・製造・販売を全てイケアで行う、製造小売業(SPA)としてのシステムを作ります。

ただし、製造小売業(SPA)の中でも、自社工場は持たない「ファブレス企業」というビジネスモデルにしました。ファブレスメーカーは、リスクもあり、情報漏えいのしやすさや、品質管理の難しさといった弱点はあるものの、メリットも大きく、設備投資を抑えて安く新商品を作ることができ、市場の変化が起きても他の工場に委託することで、素早く対応できるというメリットがあります。イケアの場合は、製造する際、予め目標価格に収まるよう計算してから既存の工場に発注を行うため、商品を市場ニーズに沿った安い価格で提供することができ、圧倒的な価格優位性を維持することができました。この体制は現在でも継続されており、今のイケアの協力工場は、世界50カ国に1250もの協力工場があります。

「2.家具のセルフサービスシステム」とは、お客さんが自分で家具を店の棚から選び、家に持ち帰って組み立てる方式のことで、「DIY(Do It Yourself)方式」とも呼ばれます。イケアでは、自分で組み立てるDIY方式を取り入れることにより、パッケージを小さくできる「フラットパック」化を行えたため、輸送コストや、在庫管理場所のコストを節約できるという利点も生まれ、低価格路線を突き進むことができました。

以上のように、イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードさんは、家具メーカーから取引中止を言い渡されたことがあるだけでなく、他にも、競争相手から価格競争を挑まれるなどのピンチが、幾度となく訪れました。しかし、常に、「早く安く売る」ためには何が必要かを考え、建設的な戦い方を考案し続け、克服してきました。このことについて、イングヴァル・カンプラードさんは、後に、「危機が活力を生み、常に新しい解決を見出すことができた」と述べています。

イングヴァル・カンプラードさんの低価格化への挑戦は、以上のような家具の原価のコスト削減のみに向けられただけでなく、会社の経営方法自体にも向けられました。そして、47歳頃の1973年には、イケアの本社をスウェーデンから移して、事業税の安いデンマークに変えました。さらに1980年には、さらなる税金対策のために、イケアをオランダに移し、さらに、イケアの親会社として作ったインカ・ホールディングも、オランダ国籍となっています。

また、イケアの国税対策と同じように、イングヴァル・カンプラードさん自身も、税金対策を行っており、46歳頃の1973年頃には、スウェーデンから、税金の安いスイスへ移住しています。イングヴァル・カンプラードさんは、晩年である85歳頃の2011年に奥さんを亡くてから、2013年に家族や友人のそばで暮らすためにスウェーデンに戻り、出生地のスモーランドの自宅で亡くなっています。しかし、2013年にスウェーデンに戻るまでの40年間は、スイスで過ごしていました。

このように、イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードさんは、お金にシビアで徹底しており、このようなイングヴァル・カンプラードさんの姿勢が、イケアの低価格の家具に反映されていると言えるのかもしれません。

イケア(IKEA)の創業者:2.価格以外の価値を見つける

イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードさんとは、「2.価格以外の価値を見つける」ということも重視する人物でした。

27歳頃の1953年頃、イケアがまだ家具の通販をやっていた折、他社との値下げ競争に巻き込まれ、品質を犠牲にした安売りに走ったことがありました。そして、当然のことながら、お客さんからのクレームが殺到しました。そのとき、イングヴァル・カンプラードさんが打ち出した対策が、展示場の開設でした。

イングヴァル・カンプラードさんは、スウェーデンの地元であるエルムフントに、イケアで初となるショールームをオープンして家具を展示しました。そして、クッキーとコーヒーを提供することにより、お客さんは楽しみながら、注文前に家具の品質を確かめられるようになり、お客さんからの信頼も取り戻せました。

さらに、32歳頃の1958年には、スウェーデンの地元であるエルムフントに、家庭用家具を販売する初店舗を、イケア1号店として出店しました。このイケア1号店は、北欧で最大の家具小売店として、6,700平方メートル(約2027坪)の敷地面積を誇りました。

その後、1960年には、店内に初のイケアレストランもオープンしました。イケアにレストランが出来たのは、田舎の森の中にあるイケアに家族で来店するお客さんが増えたためでした。そして、1日過ごす人が多かったため、お腹が空くだろうと考え、イングヴァル・カンプラードさんは、「空腹の人とビジネスをするのは難しいから」と、レストランを作ることを思い立ったわけです。1960年(昭和35年)のこの頃は、ショップ内で食べ物の提供をしている店はなく、画期的なことでもありました。

そして、37歳頃の1963年から、イケアは海外展開を積極的に行い、さらに、39歳頃の1965年には、ウェーデンのストックホルム郊外に、倉庫を併設した巨大な店舗で、今の日本のIKEAと同じようなスタイルである店舗をオープンしました。

ちなみに、現在、イケア店内では、次の3種類のフード事業を展開しています。

  1. レストラン:自分で食べたいものを取る、セルフサービス方式のお店
  2. ビストロ:ホットドッグやソフトクリームを、テイクアウトできるお店
  3. スウェーデンフードマーケット:スウェーデンの食材を売っているお店

そして、イケアは現在、フードサービスだけでも、年間約18億ドル(約2000億円)を売り上げており、フード事業の売上は、イケア全体の売上の5%を占めています。そのためイケアは、売上2,000億円を誇る、世界的な外食チェーン店でもあるといえるわけです。また、現在のイケアは、来店する人の約30%の人が、スウェーデン・ミートボールなどの食事を目当てに来ているため、お客さんの約3分の1は、フードサービスのお客さんだと言えます。そのため、「イケア=家具店」というイメージだけで考えていると、イケアの戦略を見落としているといえるかもしれません。

もちろん、イケアの付加価値は、フード事業だけではありません。イケアでは、子供預かり所である魔法の森「スモーランド」も無料で利用できます。「スモーランド」の名前は、創業者であるイングヴァル・カンプラードさんの地元の名前を冠しており、イケアの発祥地であるスウェーデンの森をイメージしたプレイルームになっています。また、子供預かり所だけでなく、2011年には、オーストラリアのシドニーの店舗に、男性預かり所として「マン・ランド(MANLAND)」もオープンして話題となりました。マンランドには、卓上ゲームなどが備え付けられており、大人の男性が時間を過ごせることのできるスペースになっています。マンランドは、世界中のイケアの店舗に普及しているものではありませんが、イングヴァル・カンプラードさんの「価格以外の価値を見つける」という戦略を、反映した戦術といえるでしょう。このようなイケアのたくさんの付加価値こそが、イケアを世界一の家具小売店に仕立てた秘密であり、日本の家具店であるニトリや大塚家具が、どうあがいても太刀打ちできない要因といえるかもしれません。

もちろん、イケアの付加価値は、本業である家具の製造へも当てられており、イケアでは家具のクオリティを重視するために、「デモクラティックデザイン」という、次の5つの基準で家具をデザインしています。

  1. Form:デザイン
  2. Function:機能
  3. Quality:質
  4. Sustainability:持続可能性 ※ サステナビリティ、環境に配慮した商品
  5. Low Price:低価格

イケアでは、この5つの基準を満たすよう、独自の厳しい検査基準を設けているため、商品が企画されてから販売されるまでに少なくとも2年かかり、商品によっては10年近く費やすこともあります。

もちろん、安全性や耐久性をチェックする品質管理も徹底されており、椅子の背もたれや座面に衝撃を2万5,000回与えたり、引き出しの開け締めを50万回行うなどのテストを繰り返して、信頼性の高い家具を提供しています。このような目に見えない努力により、イケアは安いにも関わらず、高い品質の家具を生産し続けることができているわけです。

イケア(IKEA)の創業者:まとめ

イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードとは、安さを提供するだけでなく、安さ以外の付加価値的なサービスも提供することを、徹底してきた人物です。イングヴァル・カンプラードさん自身は、1982年にイケアの経営からは退きました。しかし、その後も、イケアの親会社の親会社(祖父会社)として「インカ・ファウンデーション」を設立し、イケアの親会社である「インカ・ホールディング」や、その子会社である「イケア」に影響力を残し続け、2018年に亡くなる直前まで、イケアの意思決定の責任者を務めていた。

イケアの急激な発展には、イングヴァル・カンプラードさんの戦略も大きく関係しています。イングヴァル・カンプラードさんは、一貫してイケアの非上場を貫きましたが、その理由として、「我々の成長計画は、長期的な視点に基づいてのみ確保される。イケアを金融機関に依存させたくなかった」と述べ、「非上場企業のままでいることが、イケアの驚異的な成功の主因の1つになっている」と述べています。確かに、イケアは非上場であった分、柔軟性もあり、高額な事業税から逃れるために本社を移転するような自由度にも恵まれました。元々、イングヴァル・カンプラードさん自身、「事業税は事業の成長にとっては望ましくないもの」と述べており、税金対策で生じた資金により、さらなるイケアの成長が望めといっても、過言ではないでしょう。実際、イケアの躍進はすさまじく、1963年に海外への展開を積極的に行いはじめた後は、1993年には25カ国で100店舗を達成。2008年には278店舗(246店舗が直営店、32店舗がフランチャイズ)、2017年には355店舗、2018年にはインドとラトビアにも出店して、422店舗を持つまでに至っています。イケアの店舗は、倉庫と併設した巨大な店舗であるため、そのことも加味すると、この店舗の増加数は、驚異的とも言えます。

もちろん、イングヴァル・カンプラードさんのやり方には賛否両論あり、イケアは非上場で決算も報告する必要がないことから、財務体系や情報は謎に包まれており、秘密主義だと批判されることもあります。実際、2010年にドイツ語で出版されたイケアの元幹部の暴露本「Die Wahrheit über IKEA」の中では、「イケアは東ドイツの秘密警察『シュタージ』のような組織体制だった」と語られることもありました。また、暴露本の中によれば、イケアが年2億本使用している木材のうちの7,000万本は、ロシアで非合法に伐採された木材が、中国の企業をを経由して入手されているとも言われています。

暴露本の内容の真実は不明であるため何とも言えませんが、それでもなお、イングヴァル・カンプラードさんが、成功を修めた経営者であることは否定できない事実です。イングヴァル・カンプラードさんは、イケアの創業者として、一代で「イケア帝国」とも呼ばれる巨大企業を築き上げました。

実際、イケアの店舗に行くと、日本人にとってスウェーデンは馴染みがない国だということを思い知る一方、そんな縁遠い国の会社であるイケアという名前が、日本にこれほどまでに浸透しているということに衝撃を受けます。イケアの商品名は、スウェーデン語で書かれているため日本人にとってはスムーズに読むことも困難ですし、食材コーナーに行っても、見慣れない食材ばかりです。それにも関わらず、日本人のほとんどが、イケアを知っているわけです。

イケアは、今では、スウェーデン発祥の企業の中では、H&Mと並ぶ2大国際企業であり、2018年の世界の小売業ランキングでは、H&Mグループが世界43位である一方、イケアは世界27位です。もちろん、イケアは家具業界ではダントツの世界1位で、毎年1億個の家具を生産しているイケアの木材消費量は、全世界の木材消費量の1%にのぼり、日本の針葉樹林丸太の1年間の生産量に匹敵するほどの木材を、毎年使用しています。

そしてもちろん、そのようなイケア帝国の総帥であったイングヴァル・カンプラードさんの資産も桁外れで、2008年のフォーブスの世界長者番付(2007年の億万長者ランキング)で7位となる総資産310億円(約3兆6,500億円)でした。また、2011年時には、純資産は481億ドル(約5兆2400億円)とも言われるほどの、大きな成功をおさめた人物です。

以上のように、イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードさんは、多大な成功と莫大な富を築きました。しかし、それにも増して、イングヴァル・カンプラードさんが魅力的なのは、一から商売を始めて、独学で多くのことを学んで実践し、会社を大きくしてきたという点です。イングヴァル・カンプラードさんは、有名な一流大学を出ているわけでもなく、MBA(経営学修士)を取得しているわけでもなく、学歴が高いわけでもありません。しかし、常に建設的な発想で危機を乗り越え、「ネガティブな行動が報われることは決してない」と語り、問題を解決しながら、今のイケアのスタイルを確立しました。そういう意味では、イケアの創業者であるイングヴァル・カンプラードさんは、学歴にとらわれない人物として、多くのビジネスマンを惹き付ける人物であり、学ぶことの多い挑戦者であると言えるかもしれません。

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